始めてでもわかる子ども食堂の開き方・続け方

NPO法人静岡市子ども食堂ネットワーク理事長E沼の個人的主観的ブログです。3年間で10か所以上の子ども食堂を開いて運営してきたコツやノウハウを誰にでもわかり易く子ども食堂を始められて、長く続けていくコツや考え方を書いていきます。子ども食堂のこと、社会のこと、子ども達のこと、自分のこと。いろいろと主観ですが素直に書いて行きます。

子ども食堂の会場が決まったらすべきこと④ 「誤解と無理解があったら」

子ども食堂の会場が決まったらすべきこと④ 「誤解と無理解があったら」
 
前回の地域挨拶編で誤解と無理解が子ども食堂にはまだまだあると言う話をしたけど、その誤解と無理解にどう向き合っていけば良いのか?と言う説明をしたいと思う。
そしてその向き合うために誤解と無理解を少し掘り下げてみるよ。
多分、自分の悪い癖が出てゴチャゴチャと面倒くさい理屈や仮説を立てて行くかも知れないけど、現実問題として向き合った俺なりの解釈だから一つの考えとして良かったら読んで欲しい。
それじゃ俺の主観の話を聞いてくれるかい?
 
誤解について
前の記事で誤解とは「子ども食堂の活動がねじ曲がって伝わってしまっている状態。」って書いたよね。
良くある誤解のパターンとして「子ども食堂は貧困対策」のための活動だと信じられていること。
厳密に言えば「子ども食堂は貧困対策」って一部分としてはあっているんだけど、その意識が強すぎると誤解が生まれる。
貧困対策は子ども食堂の効果の一つ、あるいは子ども食堂の一つのスタイルではあるけど全てではないのはこのブログを読んでくれている人はもう分かってくれているはず。
だけどいまだに子ども食堂は貧困対策支援のイメージが払しょくされていないし、それが全てだと思っている人もまだまだいる。
 
例えば以前にこんな質問を電話でされたことがある。
「○○地域で子ども食堂を行っている者なんですけど、ちょっと質問してもよろしいでしょうか?」
「はいどうぞ、どんな質問ですか?」
「子ども達の集まりが良くないんですけど、そちらの子ども食堂では子ども達は何人くらい来てますか?」
「大体30人くらいですかねえ」
「エッ!?どうやってそんなに貧乏な子を集めてるんですか!?」
「エッッッ!?」
これは本当にビックリした話だったんだけど、この主催者さんは「子ども食堂=貧困対策」のイメージしか持ってなかったから。
あるいは貧困対策に特化した子ども食堂を開きたかったのかも知れない。
だけど地域での子ども食堂は決して「子ども食堂=貧困対策」ではないし、貧困対策に特化した子ども食堂は地域の子ども食堂とは運営方法は変わってくる。
主催まで行っている人がまだまだ勘違いしてる可能性もあるから、子ども食堂のことをニュースや伝聞でしか知らない人はまだまだこうしたイメージを持ってる人は多い。
 
そして更に良く聞かれることなんだけど「本当に支援が必要な子ども達に支援が届いているか?」と言う質問
これは誤解と無理解が入り混じった質問だと思っている。
例えば「本当に支援が必要な子ども達」と言うのは具体的には「どんな支援を指すのか?」と言うこと。
結局これも貧困対策だったり孤食のネガティブな部分しかみていない発言なんだ。
もちろん、地域によってはそうしたネガティブな問題に最優先で取り組まねばならない地域もあると思う。
だけれど子ども食堂はネガティブな問題だけを対象にした活動ではない
地域交流や世代間交流、地域活性に様々な体験が出来る「子ども達の居場所」としてポジティブな活動を行う自由な活動でもある
そのネガティブとポジティブの活動の割合は主催者や地域性によって決まる。
極端に言えば「楽しい」から「幸せ」を感じれるから子ども達が自主的に集まる「子ども食堂」が正解
 
「楽しい」を細かくして行けば
・ご飯がいっぱい食べれて幸せ
・みんなとワイワイ楽しいご飯の時間があるから幸せ
・苦手な勉強を楽しく教えてくれるから幸せ
・色んな人と顔見知りになれて地域での世界が広がるから楽しい
・広がった人間関係の中で自分を気にかけてくれる人がいるのが分かったから幸せ
これは一例だから上げていけばまだまだいっぱいあるよ。
 
何が言いたいかと言えば「本当に支援が必要な子ども達」の支援の種類は子ども達によって違うと言うこと。
ネガティブな問題を和らげて欲しい子ども達もいる。
ポジティブな体験を求めてくる子ども達もいる。
ネガティブな問題を和らげる事が「本当に必要な支援」だとしたら、ポジティブな体験は「不要な支援」だと言うことなのか?って逆説的な質問も出てくる。
もしポジティブな体験は不要な支援だと言う人がいれば、その人は子どもの頃の楽しい思い出は不要と言うことなんだろう。
そしてそれは少なくとも俺の価値観とは違うから「本当に支援が必要な子」とは「子ども食堂に来る全ての子ども」が「支援が必要な子」だと思っているし、本当に必要な支援は子ども達によって違うから大人達がその支援の選択肢を狭めるような考えは俺はしたくない。
まあ、この辺は人それぞれの判断だから「本当に支援が必要な子」とか「本当に必要な支援」とか言われたら具体的に何を指しているのか聞いてみるのが良いと思う。
そうすればその人が思う「子ども食堂のイメージ」がはっきりするから。
 
話はちょっとズレてしまうかもしれないけどこうした質問や場合によっては苦言的な物言いをする人は子ども食堂に実際に関わったことのない人が多かったりする
実際に関わっている人は「本当に支援が必要な」云々みたいなことは余り言わない。
実際の活動を通じた具体的な目的や問題解決を意識せざるを得ないから「あの子のためにはこうした方がいいんじゃないか?」「こうした方が集まる子ども達に有益なんじゃないか?」みたいな自分たちの活動を自問自答している。
そうして常に「良い結果を出す子ども食堂」にするため現実的な問題を抽出し、それを解決する手段を考えている
いっぱい動いていっぱい考えながらね。
 
無理解とは本当の子ども食堂の意味が伝わっていない状態
それじゃ次は無理解の話。
誤解はその人が子ども食堂の活動について理解しようとしたけどまだ完全には理解できてない状態。
無理解は子ども食堂のことや地域での活動、育児についての活動、子ども達の環境などに興味を持たない状態の事なんだ。
人の価値観は人それぞれだから子ども食堂の活動に無理解な人がいたとしてもそれは仕方のないこと。
子ども食堂には無理解でも高齢者の問題や自然環境・障害者の問題などに取り組んでいたり考えていたりする人かもしれない。
だから子ども食堂に無理解な人がいたとしても気にせずにいるのが一番消耗しなくていい。
ただどうしても避けて通れないポジションの人が子ども食堂に無理解な人であったなら、一通りの説明と資料を手渡しておくのは大事なことだからね。
ただ無理解な人に理解させようとはしない方がいい。
感情論や子ども食堂に対して悪いイメージや面倒なイメージを持ってしまうかも知れないから
 
今回は具体的な子ども食堂の話と言うよりちょっと思想的な部分の話も出てきてゴチャ
っとした内容に感じられるかもしれないけど、子ども食堂を続けていくとこうした誤解と無理解に出会う場面は必ずあるから、ちょこっとでも心の隅に覚えておいて欲しい。
 
あと、話は全然変わるんだけど月刊「都市問題」Vol.110 2019年5月号で記事を書かせて頂きました。
「地域福祉とボランティア」の内容で書いてあります。
ご興味ありましたらご覧になってください。
そうそう、自分のPRになってしまうけど翔泳社様から「地域で愛される子ども食堂の作り方・続け方」と言う本を出しています。
こちらも興味ありましたらぜひご覧になってください。
 
それじゃ次回はそろそろお金の話をしようかと思う。
「お金の問題 収益と支出」の話をするよ。
 
 #静岡市子ども食堂ネットワーク #子ども食堂 #始め方